ハワイ・マウイ島マケナの歴史

多くのハワイアンが「故郷」と呼んだマウイの土地  

「溢 れる自然」で知られた土地、マウイ島・マケナ。その静かな海では多くの魚やクジラの新しい命が誕生しています。古代のハワイアンは、ハワイの本来の自然が感じられるこの地に、魚の池やヘイアウ(ハワイ語で「神殿」)を作りました。1年のうち、約330日が晴天に恵まれるマケナは、ハワイ本来の美しい自然に満ち溢れた場所です。  

1920年代の半ばまで、多くのハワイアンはマケナを自分たちの「故郷」と呼んでいました。その古い文化は、魚の池や神殿の名残として今もマケナのいたるところに見られます。彼らはアジなどの魚をラ・パルース湾の近くに作った池で養殖していました。 キャプテンクックによるハワイの植民化が進み、マケナはラハイナに次ぐ海港に変化しました。マウイの肥沃な土地で育ったさつまいもなどの農作物がマケナの港からカリフォルニアに輸送されるようになります。  

1850 年の後半には、船長としての仕事をリタイアしたジェームス・マキーがハレアカラ山の傾斜にあったサトウキビのプランテーションを買収。この精糖所 は、1866年までに、当時ハワイに10箇所にあった精糖所のうち第3位の生産量を誇る成功をおさめます。しかしマキーの死後、プランテーションは深刻な干ばつに襲われ、同製糖所は閉鎖に追い込まれました。  

また、1886年には、その美しさとホスピタリティーで広く知られ、マキーのお気に入りだったローズ・ランチ(牧場)がドーセット一族に売却されます。ウルパラクア・ランチに改名された同牧場では畜牛業が行われました。その後、マケナはその海港からの畜牛運送でも知られるようになります。   1832年、キリスト教伝道師がマケナでの布教を開始、1855年には溶岩流と、珊瑚礁が砕かれたセメント(Puna)で囲まれたケアワライ(ハワイ語で 「静かな海」)に教会を建設しました。マケナにおいては現在も教会での様々な活動が続いており、同チャペルは歴史的にも広く知られた場所になりました。  

第二次大戦中には、アメリカ軍がマケナを占領し、軍のトレーニング基地として使い始めました。この間に、マケナの歴史的な埠頭は破壊され、海港としての役割は終焉を迎えます。

戦後は、元来この地に住んでいた人がマケナに戻ることが少なかったため、昔からの手づかずの美しい自然と、ごく一部の漁師のみに知られていた岩礁はそのまま現在にいたるまで残されていきました。そして、ハワイが米国の州として統合される1959年までには、その主たる産業はすでに観光業になりつつありました。 


1970年代~:プリンスホテルの時代―高級リゾートとして、世界的に高い評価  

そ の後1970年後半にかけて、ハワイ・マウイ島の観光事業はめざましい発展を遂げます。世界中の観光客が、マウイの自然の美しさ、壮大なビーチ、快適な気候を求めて訪問するようになります。マケナのビーチを含む、1800エーカーの土地も例外ではありませんでした。日本の西武がこの土地を買収、マルアカ ビーチとハレアカラ山の間に、ロバート・トレント・ジュニア設計によるゴルフ場を建設します。18ホールのコースとレストランを備えたこのゴルフ場は 1981年8月にオープンしました。  

1983年の秋、西武は全6フロアに310の客室を備えたホテルの建設に着手します。この建物は、全ての客室にプライベートバルコニー(ラナイ)を備えており、全室から海が見えるユ ニークなデザインになりました。西武は同ホテルをマウイプリンスホテルとして1986年8月にオープンし、日本を含む世界中の観光客から高い評価を得ます。

1993年の春にはテニスクラブをオープン、ゴルフコースの追加建設も計画されました。ホテルやゴルフコースを囲む約1300エーカーの広大な土地 は、鹿、豚、ハワイの鳥、キアヴェやウィリウィリなどの植物が今でも共存する、ハワイの自然に溢れたエリアになっています。  

2007年: マケナビーチ&ゴルフリゾートとして再スタート  

その後約24年以上にわたり、同ホテルはプリンスホテルとして運営されますが、2007年に売却されます。その後同ホテルは 「マケナビーチ&ゴルフリゾート」と改名し、営業を継続することになりました。  

2011年~: 25周年を迎えるマケナビーチ&ゴルフリゾート  

2011年8月、マケナビーチ&ゴルフリゾートは開業25周年を迎えます。これを記念し、同ホテルは現在全社を挙げての大規模なプロジェクト「ビューティフィケーション」を実施、全室が改修され、美しくモダンに生まれ変わりました。